自由恋愛の最果ての地 パパ活は自由恋愛のユートピアか?

ここまで、交際クラブを利用している男女の生の声、そして交際クラブ代表者の声を交えながら、パパ活の世界の「ストリートビュー」を提示してきた。終章では、これまでに得られた知見を整理して、パパ活という社会現象から浮かび上がってくる私たち自身の課題、そして社会全体の課題について論じていきたい。パパ活の行われている交際クラブの世界は、言うなれば「自由恋愛の最果ての地」である。精神的に自立している(とされている)男女が、あらゆる制度や規範の縛りから自由になり、金銭のみを介して、いつでも・どこでも・誰でも・どのようにでも、自由に関係性を結ぶことができる。国境や国籍を越えた関係だけでなく、世間ではタブーとされている複数の相手との同時交際、既婚者とのとの交際(不倫)も、ここでは当たり前のように行われている。求められるルールは「一人の自立した人間として、相手に何ができるかを考えること」のみ。二人の関係性をどのようにデザインするかは、あくまで当事者次第だ。女性にとっては、経済的に不安定な生活から抜け出す手段にもなれば、家庭生活だけでは満たされない何かを充足するための手段にもなりうる。男性にとっては、パートナーとのセックスレスの苦しさを埋める手段にもなれば、疑似恋愛を楽しむ手段にもなりうる。性愛に対してリベラルな価値観を持つ男女からすれば、あらゆる制度や規範の縛りから解放されたこの世界は、ある種のユートピアのように思える。

 

自由恋愛の最果ての地 パパ活は自由恋愛のユートピアか?記事一覧

しかし、リベラルな男女にとってユートピアであるはずの交際クラブの世界は、「経済力のある中高年男性と、経済力のない若年女性が金銭を介して肉体関係を結ぶ場所」という、古色蒼然としたジェンダー非対称性を露骨に具現化した空間になっている。これはなぜだろうか?あらゆる制度や規範が相対化された世界をうまく泳いでいくためには、自らの力で全ての関係性を意味づけて、自己責任でデザインしていかなければならない。第5章...

パパ活の世界は、制度や建前から自由になれる世界である反面、制度や建前が自分を一切守ってくれない世界でもある。お金をドブに捨てるような体験をしてしまった時、交際の過程で心身に二度と立ち直れないような痛烈なダメージを受けてしまった時も、全ては自己責任になる。どれだけ年収が高くて社会的地位のある男性も、裸になれば、どこにでもいるお腹のたるんだおじさんだ。お金とセックスが絡んだ途端、自己の性欲や感情を制御...

かくも残酷なパパ活の世界だが、賢明な読者はここで一つの重要な真実に気づいたはずだ。交際クラブを利用している男女の語りからも分かるように、パパ活の成功法則=「一人の自立した人間として、相手に何ができるかを考えること」は、恋愛や結婚の成功法則と何ら変わりない。だとすれば、恋愛や結婚も、本質的にはパパ活と同じようなものだと言えるのではないだろうか。複数恋愛を否定する社会規範や結婚制度というオブラートのお...

現代社会は、「父なる存在」が消えた社会である。過剰な情報と複雑化・多様化した価値観の大海の中で、私たちの生を意味づけてくれる「父」としての大きな物語や伝統的文化、聖典や絶対神は、もはやどこにも存在しない。「父なる存在」が消えた社会の中で、「パパ」を探す女子と、「パパ」になろうとする男子。そして「パパ」を信じきれない女子と、「パパ」になりきれない男子。これは他の誰でもない、あなたや私の物語ではないだ...

さて、ここまでお読みくださった読者の中には、若い男性が経済的援助を行ってくれる年上の女性を探し求める活動=すなわち「ママ活」は存在しないのか、という疑問を持たれた方も多いだろう。1980年代前半に「愛人バンク夕ぐれ族」を立ち上げて一世を風靡した筒見待子氏は、中年男性に若い女性を紹介するだけでなく、人妻や配偶者と死別した中年女性に若い男性を紹介する「スワローバンク」という組織を立ち上げた、と著書に記...